砧八丁目児童公園(旧砧保健所跡地)

帰りマン「二大怪獣の恐怖 東京大龍巻」8分39秒の南海病院、そして怪奇大作戦「死を呼ぶ電波」1分58秒の監察医務院は、どちらも当時世田谷区砧8-2-21にあった砧保健所(以降、旧砧保健所)です。ウルトラQ「あけてくれ!」3分50秒には「東京都砧保健所」という看板が写っています。おそらく旧砧保健所近くでの撮影だったのでしょう。残念ながら、現在砧保健所は世田谷区祖師谷へ移っており、当時の建物はありません。その跡地は砧八丁目児童公園となっています。

砧八丁目児童公園
2004年2月
写真1
砧八丁目児童公園前
2004年2月
写真2

写真1はその砧八丁目児童公園、そして写真2はその児童公園前から東方向をみた風景です。帰りマンの南海病院と怪奇大作戦の監察医務院はどちらも、写真1のように撮影された旧砧保健所です。また、帰りマン「二大怪獣の恐怖 東京大龍巻」9分37秒、小林昭二演じる高村船長とその娘が南海病院を後にして歩いて行くのが写真2の奥方向になります。

昭和49年 砧保健所周辺の空中写真

図1: 昭和49年 砧保健所周辺空中写真
(空中写真は国土交通省の国土画像情報(カラー空中写真)より引用)

以下、ロケ地特定の根拠を説明します。

図1は、昭和49年の砧8丁目の空中写真の上に写真1と写真2の撮影場所と撮影方向を重ねたものです。矢印の始点がカメラの位置、矢印の方向が撮影方向です。

まず写真2と帰りマン「二大怪獣の恐怖 東京大龍巻」9分37秒の映像を比較します。すると、写真2中央に見える階段つきのアパート(多少改築されている)が、その9分37秒の映像にも見られるのが分かります。また、その9分37秒の映像には「写真 惣島スタジオ」という広告が写っていますが、昭和45年の地図によれば図1に示した位置(旧砧保健所のすぐ近く)に「惣島写真館」が存在しました。こららのことから、少なくとも9分37秒の映像は旧砧保健所前と断定してよいと考えます。

次に写真1と怪奇大作戦「死を呼ぶ電波」1分58秒の映像を比較します。すると、撮影方向に対する監察医務院の屋根の折れ曲がり方向が、写真1の撮影方向に対する旧砧保健所のそれと一致します。

以上のように、帰りマン「二大怪獣の恐怖 東京大龍巻」には旧砧保健所前で撮影されたと思われる場面があり、その直前に見られる南海病院(怪奇大作戦の監察医務院と同じ建物)の屋根の特徴は旧砧保健所のそれと一致します。

当時の砧保健所の写真が見つかればより確かなことがいえると思いますが、以上のことだけでもロケ地を特定できると考えます。

追記(2016年5月8日): 文献[1]P38に昭和36年(1961年)当時の東京都砧保健所の写真がありました(写真3)。その写真の門柱が、怪奇大作戦「死を呼ぶ電波」の監察医務院と帰りマン「二大怪獣の恐怖 東京大龍巻」の南海病院とに写る門柱と一致します。

昭和36年の東京都砧保健所
1961年
写真3

追記(2016年5月12日): 快獣ブースカ「チビッコ台風」の日の出町保健所(赤ちゃん講習会会場)の外観も旧砧保健所です。ブースカが保健所に入る場面に写真3の建物と門柱が写っています。